2017年4月22日土曜日

「アメリカ空軍の歌」のwikipedia訳の問題について

「アメリカ空軍の歌」の日本語訳は日本語版wikipediaに掲載されている。しかし、この訳は必ずしも適切なものとは言えない。以下では、これについて問題個所を適宜上げつつ検討する。




Ⅰ Here they come zooming to meet our thunder,
敵が急上昇してきたぞ、我々の雷の一撃を見舞う時だ
wikipedia訳はもはや文法がめちゃくちゃである。to不定詞の主語は文中に書かれていないか、また、特殊な状況でない限り文の主語と一致する。よってⅠの主語は、theyであるからto meetの主語もまたtheyになるのである。よって次のような訳が適切である。

Ⅰ敵が我らの雷(飛行機の比喩)に立ち向かうため急上昇してきたぞ




Ⅱ Minds of men fashioned a crate of thunder,
Ⅲ Sent it high into the blue
雷を集めて創った我々の魂を、青空高く送り届けよう
wikipedia訳によれば、この文の主語(S)Mindsであり、of menfashioned以下がMindsを修飾する形をとる。また動詞(V)sentである。sentは、sendの視覚方言であるから、意味上はsendとなる。さて、wikipedia訳で問題が生じるのは、Ⅱを関係代名詞的に訳したことによりsentのあとのitminds of以下と対応する形になる。しかし、mindsは複数形である以上、themになるはずであり、明らかな英文法上の間違いとなる。
であるからこの歌詞は、Minds of menSfashionedVとする文とSendで始まる命令文の二文で構成されることとなる。英文法上正しい形に直せば以下のようになる。

Ⅱ我らの心は雷の箱(飛行機の比喩)をつくった
Ⅲこれを大空高く送り届けよう




Ⅳ Hands of men blasted the world asunder,
Ⅴ How they live God only knew!
世界を圧倒する破壊力を備えた一握りの者たち、その生きざまは神のみぞ知る
blastに備えるという意味はなく、また、blastは第四文型をとることはないのでHands of menを就職することはできない。そのため、これについても文法上の誤りとなる。であるから、正しい訳は以下のようになる。

Ⅳ男たちの腕前は世界を木端微塵にするがごとく震わる
Ⅴ彼らの生きざまは神のみぞ知る


Here's a toast to the host of those
Who love the vastness of the sky,
さあ乾杯だ、大空を愛する兄弟たちを祝って
ここではvastness of the skyが単に空を指しているのか、それとも、空の広さを指しているのかどちらの意味となるかが問題となる。しかし、前述のものと比べ断定しがたいため、あくまで逐語的に訳した場合には以下のようになる。

さあ乾杯だ、空の広さを愛する兄弟たちを祝って



Ⅶ To a friend we send a message
     Of his brother men who fly.
空を翔ける我らが兄弟たちへ伝えよう
wikipedia訳ではa friendhis brother menが同格の関係となっている。しかし、これでは1人でしかないfriendが複数のbrother menから構成されることになるため非常におぞましいこととなる。そのため、of以下はa messageを就職することが妥当であろう。これを踏まえて訳すと次のようになる。

Ⅶ友に伝えよう、空駆ける兄弟たちの言葉(言伝)



Ⅷ Then down we roar to score the rainbow's pot of gold.
黄金に輝く虹の光を心に刻むため、声高らかに歌おう
まず第一にscoreが言葉等を心に刻むという用法で使われるとき、その意味はマイナスの意味となるため、歌詞の内容に即していない。次にthe rainbow’s pot of goldの問題である。いくらなんでも直訳すぎでないだろうか。
Pot of gold at the end of the rainbowで「夢のような大金(幸運、報酬etc)」や「見果てぬ夢」などという意味となる。そもそも、この意味が導き出される語源は、虹の先端と地面が接する所に黄金の入ったつぼがあるという伝説であるから、ネイティブスピーカーにとっては単にrainbow’s pot of the goldという形でも、もとのpot of gold at the end of the rainbowという形が導きだせるのでないか。とならば、自動的にscoreは得るという意味となる。これを加味して訳せば次のようになる。

ならば、声高らかに歌い上げよう、見果てぬ夢を得るために
(補足:前文のmessageを汲むなら「歌う」というより「騒ぎ立てる」や「声を張り上げる」という訳語のほうが適切かもしれない)


参照(2017/4月22日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ空軍の歌

2017年4月17日月曜日

「グレートゲーム再考―中央アジアにとっての帝国間競争の意味―」感想

日本国際政治学会 2010 年度研究大会部会 4 地域からの帝国論―比較史と現在
 宇山 智彦「グレートゲーム再考―中央アジアにとっての帝国間競争の意味―」
http://src-home.slav.hokudai.ac.jp/rp/group_04/achievements/files/20101029_uyama.pdf

 

 グレートゲームは今や狭義の近代中央アジアにおける英露の競争から、中央アジアをめぐる諸国の権力闘争を示す政治的レトリックとなっている。このレトリックにおいては、プレイヤーを各大国
とし、小国を駒として戦う”チェス”として国際政治情勢が表現される。これはもちろん、グレートゲームがチェスの用語に由来していることなのであるためである。つまり、グレートゲームにおいては、小国は意思を持たない駒として認識されるのである。しかし、現実はそうではなく、小国も意思をもって自己の利益のために行動しているということを本報告は示している。
 本報告は、前述のようにグレートゲームというレトリックの中で単なる駒として扱われている小国に焦点を当て彼らが英露のみならず、清も加えた近代の清英露対立の中で如何に彼らが行動し、いかなる結果となったかを簡潔に示している。本報告において、もっとも着目すべき点はグレートゲームにおいて決定された中央アジアの支配環境が現在に至るまで影響しているということを示している点、帝国が現地勢力を利用するのみならず、現地勢力に帝国が利用されていることを示す点の二点である。これは、本報告が主題としたグレートゲームのみならず、そのほかの環境にも応用できる可能性のあるものである。これについて次に検討していく。
 まず、前者について検討する。グレートゲームの舞台となった中央アジアは、当時清朝が占領した東トルキスタンを除きすべてが独立国になっている。これは報告中で清朝において現地エリートが育成されなかったため、また、清朝が日本との関係において主権を強めていったこととされている。ここで示される対比は、現在もくすぶる民族独立の問題についての歴史的解釈に新しいものを加えるのかもしれない。
 次に後者、帝国の利用について検討する。小国、現地勢力が自己の利益のために大国を闘争へと引き込んでいくという構図は、現在もみられる。まさに今のシリア情勢がそれにあたるだろう。自由シリア軍などの現地勢力が介入に消極的な米国を段階的に引き込んでいる。シリア情勢も大国のゲームという一面的なものでしか捉えられていない面もあるが、各現地勢力がアクターとして大国を巻き込んでいるという面もまた存在する。本報告は、このような観点について歴史的な根拠を示していえるのかもしれない。

 最後に、中央アジアをチェス盤に見立て、チェスの用語からとられたグレートゲームがそうであったように、冷戦期の米ソ対立における小国や現地勢力を駒とみる観点もまた、現地勢力は単なる駒で無いかもしれないという可能性を本報告は、歴史的根拠をもって示しているのかもしれない。