2017年4月17日月曜日

「グレートゲーム再考―中央アジアにとっての帝国間競争の意味―」感想

日本国際政治学会 2010 年度研究大会部会 4 地域からの帝国論―比較史と現在
 宇山 智彦「グレートゲーム再考―中央アジアにとっての帝国間競争の意味―」
http://src-home.slav.hokudai.ac.jp/rp/group_04/achievements/files/20101029_uyama.pdf

 

 グレートゲームは今や狭義の近代中央アジアにおける英露の競争から、中央アジアをめぐる諸国の権力闘争を示す政治的レトリックとなっている。このレトリックにおいては、プレイヤーを各大国
とし、小国を駒として戦う”チェス”として国際政治情勢が表現される。これはもちろん、グレートゲームがチェスの用語に由来していることなのであるためである。つまり、グレートゲームにおいては、小国は意思を持たない駒として認識されるのである。しかし、現実はそうではなく、小国も意思をもって自己の利益のために行動しているということを本報告は示している。
 本報告は、前述のようにグレートゲームというレトリックの中で単なる駒として扱われている小国に焦点を当て彼らが英露のみならず、清も加えた近代の清英露対立の中で如何に彼らが行動し、いかなる結果となったかを簡潔に示している。本報告において、もっとも着目すべき点はグレートゲームにおいて決定された中央アジアの支配環境が現在に至るまで影響しているということを示している点、帝国が現地勢力を利用するのみならず、現地勢力に帝国が利用されていることを示す点の二点である。これは、本報告が主題としたグレートゲームのみならず、そのほかの環境にも応用できる可能性のあるものである。これについて次に検討していく。
 まず、前者について検討する。グレートゲームの舞台となった中央アジアは、当時清朝が占領した東トルキスタンを除きすべてが独立国になっている。これは報告中で清朝において現地エリートが育成されなかったため、また、清朝が日本との関係において主権を強めていったこととされている。ここで示される対比は、現在もくすぶる民族独立の問題についての歴史的解釈に新しいものを加えるのかもしれない。
 次に後者、帝国の利用について検討する。小国、現地勢力が自己の利益のために大国を闘争へと引き込んでいくという構図は、現在もみられる。まさに今のシリア情勢がそれにあたるだろう。自由シリア軍などの現地勢力が介入に消極的な米国を段階的に引き込んでいる。シリア情勢も大国のゲームという一面的なものでしか捉えられていない面もあるが、各現地勢力がアクターとして大国を巻き込んでいるという面もまた存在する。本報告は、このような観点について歴史的な根拠を示していえるのかもしれない。

 最後に、中央アジアをチェス盤に見立て、チェスの用語からとられたグレートゲームがそうであったように、冷戦期の米ソ対立における小国や現地勢力を駒とみる観点もまた、現地勢力は単なる駒で無いかもしれないという可能性を本報告は、歴史的根拠をもって示しているのかもしれない。