ミサイル防衛が常に論争の的となる概念である一つの理由は、核攻撃の際にもし仮にも使われた場合、防衛システムがどの程度よく機能するかを知ることが不可能というものである。
この本質的な不確実性は、ミサイル防衛についてのほぼ如何なる声明についても持ち出せるものである。もし、諸君らが、核戦力を構築する任務に就いていたならば、諸君らは、敵の防衛システムを突破するため、より多くの弾頭が必要であると容易に主張することが可能である。反対に、もし諸君がミサイル防衛に関する職務についていたら、諸君らは諸君らが提供する防衛システムは、"その日"のミサイル攻撃の脅威に対する適切な防護を提供することができると日々いうだろう。
この種の主張は、冷戦中には、そして今日でも―論争の両側において―非常に有効である。
ソビエトのミサイル防衛計画は、この議論について非常に非常に興味深く、非常に重要なデータ要素を提供している。我々は、ソビエトのシステムを打倒するために米国が必要であると考えたいくつかの概念を保有している。
Katayevアーカイブにより、我々は、今日、ソビエト当局がモスクワABMシステムの能力について記述された多くの資料を手にすることができる。ここに複製され、以下に翻訳されたアーカイブ内の一方の文書は、1985年当時の計画の簡潔な説明についてのものである。もう一方のアーカイブの文書は、いくつかの有用な背後関係を提供する。
ソビエトの文書が明確に示しているように、防衛システムは、非常に控えめな迎撃能力を提供すること以外求められていなかった。―現在配備されているA-135システムはわずか1から2発の弾道ミサイルを迎撃すると期待されているに過ぎない。文書は、この場合、弾道ミサイルの定義について少々曖昧であるが、それぞれ10発の弾頭を搭載した1から2発のMX-式ICBM(訳者注:ピースキーパーICBM)を意味していないようではある。というより、1から2の「複合弾道目標(complex
ballistic
targets)」を示しているようである。これは、それぞれの目標がデコイや防衛網突破手段に囲まれた単一の弾頭である。蓋し、もしモスクワが非常に密集した目標になると想定されたならば、これら「複合弾道目標」の一部は、少数の弾頭を含むだろう(ここでは、核弾頭を搭載した迎撃弾が機能するとする。)。A135の前任のA-35に与えられた能力は、ずっとより控えめなものであった。―「いずれかの方向からくる単一の弾道ミサイル」 ここでの「単一」はおそらく単に単弾頭ということを意味したのであろう。
モスクワのABMを突破するために使用される弾頭の数と比較したとき、これら迎撃ミサイルの数は、もちろん、部分的には興味深い。Hans
kristensen 、Matthew
Mckinzie 、Stan
Norrisは、プロテクション・パラドックス論文中において、1968年、米国の戦争計画では、A-35システムを制圧するために、66発の弾頭が割り当てると推定した。これは、ところで、A-35システムが作戦状態になる10年以上前の計画である。彼らは、また、1989年において、米国は、約200発の弾頭をモスクワABM突破のために割り当てると推定した。そして、もちろん、英国とフランスは、もし彼らの弾道ミサイルがモスクワ周辺の防御を突破するとなれば、数百発の弾頭と洗練されたデコイが必要であると主張した。
過剰攻撃のほどは攻撃と防衛の関係性―防衛兵器の配備は圧倒的な攻撃兵器の増強を促進するだけである―を実際に示しているという結論に至りがちである。もちろん、そこには幾分かの真実は含まれるだろう。しかし、私の知見では現実は少々異なる―アメリカは弾頭の目標が不足するほどに多数の核弾頭を保有している。100発かその程度の弾頭をミサイル防衛制圧のため発射することは行うには理性的なことであり、そして、何人もミサイル防衛が実際に提供することのできる能力を微塵も気にかけないのである。
ともかく、ここには文章がある。それは”武装制限地域における義務についてのソビエト連邦の順守にかかわるアメリカの主張に関連した実情に関する覚書”と題されている。(Katayev
papersの登録情報では、この文書は、”情報「武装削減地域におけるソビエト連邦の取り組みに関する義務に対する米国の主張についての実情」”であるように思われる。)
この覚書には日付が付されていないが、各種指標によると、1985年後半、恐らくジュネーブでの第1回レーガン—ゴルバチョフ会談に先立ち用意された。
画像は1985年に進んでいたソビエトのミサイル防衛計画の覚書の一部を示している。以下がその翻訳である。(イタリックの単語および数字は極秘文書に通常用いられる手書きで書かれたということである。)
(ミサイル防衛に関する)作業は1960年代中頃に開始された。MRP(電波工学省)によるTsNPO
Vympelは、1979年までに戦闘可能状態となったA-35MモスクワABMシステムへと発展した。このシステムは、いくつかの方向から飛来する1発の弾道ミサイル及び西ドイツから飛来する最大6発のパーシング2型ミサイルに対する迎撃能力を提供する。
発展型A-135モスクワABMシステムへの置き換えは1987年に完了し、1から2発の現代的及び将来型ICBM及び最大35発のパーシング2型中距離弾道ミサイルの攻撃からの防護能力を提供する。A-135システムは、新型の索敵及び追尾レーダーであるDon-2N(Pushikino-Sofrino周辺に配備)を含む。1985年7月15日の党中央委員会及び閣僚会議の決定に従い、モスクワABMシステムのさらなる改良―A-235システム(8から12の複合弾道ミサイル目標及び最大40のパーシング2型ミサイルを迎撃可能)―に向け作業が進行している。
このシステムの試験は1995年に予定されている。
同時に、単独で非常に価値のある対象を防衛するための短距離迎撃システムS-550(-1988年予定)およびICBMサイロ防衛のための”Sambo”システムが開発中である。
上記の画像にないが、覚書の次のページには以下のように書かれている。
S-550及び”Sambo”システムを除いたすべての開発計画はABM条約順守の下に行われている。だがS-550及び”Sambo”システムの開発は、条約には適合していない。
A-135に関するほとんどの作業は、計画通りに完了された。しかし、システムの試験(どちらかというとAmurとして知られる試作機の試験)は1987年3月から10月にかけてSary-Shaganにおいて実施され、いくつかの深刻な作業が必要であることが発見された。国防省は、このシステムの配備を承認せず、工業部門へ送り返した。次の一連の試験は、1989年に実行され、A-135は、”試験的統合作戦”にふさわしいと1990年に判断された。(“統合”とは、ここでは工業部門の代表者が軍人とともにシステムを操作することを意味する。)A-135は、1995年まで戦闘任務につくことはなかった。
A-235システムは、完全に新規の計画ではなかった。このシステムにかかわる作業は1975年に開始された。1978年に承認された計画は、A-235がモスクワと”モスクワ産業地帯”の防衛提供し、”行政及び軍事の中心の鍵”の防衛を拡大するであろう更により大型のシステム―A-1035―に従属するとしていた。A-235計画は、近年復活したことが明らかになった。だが、計画の目的―モスクワ地域の防衛及び1から2のミサイルの迎撃―は大きく変更されたということは考えられない。
S-550及び”Sambo”に関する十分な情報は無い。私が言える限りでは、モスクワといったキーコマンド及び統制施設を防御するだろう従来の高速迎撃弾による終末段階防衛システムだったということである。おそらく、これは、S-255終末段階ミサイル防衛システム計画―これは1984年に終了し、ミサイルはA-135へと移されたと判明しているのであるが―における開発結果をもとにしていた。5k17レーダースステム―アメリカではフラットツインとして知られている―は、カムチャッカヘ移送された。(これは2005年から暫くかけて解体された。)
S-550開発計画は1989年には、未だ実行されていたが、あらゆる指標によれば、開発作業は、1991年後には停止していた。
Samboは、いくつかの文書で”ミサイルサイロ及び指揮施設のアクティブディフェンス”として言及されている。不完全に爆発させるため、大量の金属片を飛来する弾頭へと発射するという考えにSamboは基づいているようである。同様のものが米国においてもMXサイロの防衛力を提供するなかで検討された。
1985年の計画は、Samboシステムが1987年中に完成されることを要求し、そして、テストもまた1989年中に実施されることを要求していた。しかしながら、1986年、この名前は文書から消滅し、また、二度と言及されることはなかった。Mozyrが金属片を同様に使用するか、それ以外の別の作動機構を利用するかは明らかではないものの、Samboは、恐らく、別の”アクティブ”サイロ防護システム―”Mozyr”―により置換されたと思われる。(Katayevの注記によると、1980年代初期、Samboは、別のアクティブシステム、”Aktiv”とともに言及されており、このAktivは、サイロを防護するため爆発物を利用するとされていた。)
1980年代後期に実行された飛行実験における弾頭迎撃にMozyrの開発が関係したといういくらかの情報がある。MilitaryRussia,ruは、何枚かのカムチャッカにおけるMozyr試験施設とみられるものの写真を掲載している。
現在、ロシア政府は、多額の資金を戦略部隊の近代化に費やす必要があると考えており、モスクワABMシステムは、明らかにオーバーホールを受けている。ロシアは、短距離迎撃弾のシステムの定例試験を実施し、そして、新型の迎撃ミサイル稼働していると明らかにした。2006年あたりに現役から退いた長距離迎撃弾を新たなミサイルに置き換える予定であるとの声明もある。Don-2Nレーダーの近代化に関する報告も存在する。いくつかの進行中の計画は、”Samolyot-M”のようなあいまいな名称で隠されている。(Alexsandr
Stukalinに用意された、いくつかの計画に関する非常に興味深い概説がある。)
システムは、核弾頭搭載迎撃弾を利用することで知られているものの、あらゆる利用可能な証拠は、核弾頭は、(恐らく)安全な場所に保管されている迎撃ミサイルから取り外されていることを指名しているということを、私は注記しておかなければならない。通常弾頭による迎撃能力があるとする報告も存在するが、システムの完全な再設計抜きには、これが達成されるとは考え難い。加えてロシアの設計者と軍人は、信頼性の高い非核弾頭のミサイル防衛の建設の可能性について、極限までに懐疑的である。(実際、彼らは、米国は、ヒット・トゥー・キルが十分に機能しないと理解したとき、ミサイル防衛システムを核迎撃弾に転換するであろうと自身をもって予想している。)
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