2017年2月24日金曜日

ドイツ民主共和国行進曲曲名仮訳

ドイツ民主共和国の行進曲仮訳です。抜けあります。上から順番に以下のyoutubeリストに対応します。国家人民軍地上軍、航空打撃軍、人民警察、国家保安省等ごちゃまぜです。

http://www.youtube.com/playlist?list=PLlO0ckvbly9USZBac9oHTnOBkH6he4v6C


Der Große Zapfenstreich der Nationalen Volksarmee 国家人民軍大帰営ラッパ
Dippen Marsch ディッペン行進曲
Festival Marsch und Marsch «Ruf der Sportjugend» 行進曲<<スポーツ青年の名誉>>
Freundschaft Marsch 行進曲<<友情>>
Grenztruppenmarsch 国境警備隊行進曲
Im Gleichschritt Marsch 行進曲<<歩調を合わせて>>
Klassenbrüder Waffenbrüder Marsch 行進曲<<階級の友、戦友>>
Marsch der Fallschirmsportler パラシュート選手行進曲
Marsch der Fla-Raketen Truppen 対空ロケット部隊行進曲
Marsch der Freien Deutschen Jugend 自由ドイツ青年団行進曲
Marsch der jungen Schrittmacher 若き先駆者達の行進曲
Marsch der junggadisten 若き衛兵の行進曲
Marsch der Kampfgruppen der Arbeiterklasse 労働者階級戦闘団行進曲
Marsch der Thälmann Pioniere テールマンピオニール行進曲
Marsch «Blaue Jungens, euch gehört die See» 行進曲<<青き若者たちよ、諸君らは海の一部だ>>
Marsch «Blaue Wimpel im Sommerwind» 行進曲<<夏風の青き三角旗>>
Marsch «Die Welt ist so schön» 行進曲<<世界は斯くも美しい>>
Marsch «Fanfarengruß» 行進曲<<>>
Marsch «Festfanfaren» 行進曲<<祝祭のファンファーレ>>
Marsch «Festivalfanfare der X. Weltfestspiele» 行進曲<<>>
Marsch «Feuerwehrgalopp» 行進曲<<消防隊のガロップ>>
Marsch «Fliegerfanfare» 行進曲<<航空兵ファンファーレ>>
Marsch «Flottenparade» 行進曲<<観艦式>>
Marsch «Flug ins All» 行進曲<<宇宙への飛翔>>
Marsch «Fröhlich sein und singen» 行進曲<<>>
Marsch «Goldenes Prag» 行進曲<<金色のプラハ>>
Marsch «Grün ist meine Waffenfarbe» 行進曲<<緑は我が兵科色>>
Marsch «Ich trage eine Fahne» 行進曲<<私は旗を持つ>>
Marsch «Im Paradeschritt» 行進曲<<パレード歩調で>>
Marsch «Ins neue Jahrtausend hinein» 行進曲<<新たなる千年へ>>
Marsch «Junge Piloten» 行進曲<<若き飛行士>>
Marsch «Kosmonautenfreundschaft» 行進曲<<宇宙飛行士たちの友情>>
Marsch «Lied der blauen Fahne» und «Locken» und «Groß Berlin» 行進曲<<青き旗の歌>>と<<巻髪>>と<<大ベルリン>>
Marsch «Moskau im Mai» 行進曲<<五月のモスクワ>>
Marsch «Neues Leben» 行進曲<<新たなる息吹>>
Marsch «Oktobergruß» 行進曲<<10>>
Marsch «Oktoberparade» 行進曲<<10>>(革命記念パレード)
Marsch «Parade» 行進曲<<パレード>>
Marsch «Pionierfanfare» 行進曲<<ピオニールファンファーレ>>
Marsch «Salut» 行進曲<<祝砲>>
Marsch «Singende Fanfaren» 行進曲<<>>
Marsch «Spartakisten» 行進曲<<スパルタクス団員達>>(スパルタクスの闘士達)
Marsch «Tritt gefasst» 行進曲<<冷静に踏み出そう>>
Marsch «Unsere Luftstreitkräfte» 行進曲<<我らが航空打撃軍>>
Marsch «Unsere Volksmarine» 行進曲<<我らが人民海軍>>
Marsch «Unsre Heimat» 行進曲<<我らが故国>>
Marsch «Wir schützen unsere Heimat» 行進曲<<我らは故国を守る>>
Marsch «Ziel erkannt» 行進曲<<狙いは定められた>>
Marsch «Zum Städtele hinaus» 行進曲<<街を離れ>>
Marsch «Zwischen Himmel und Erde» 行進曲<<12>>
Marsch/Lied «Auf der Seite der Genossen» und «Lied der Partei» 行進曲/歌曲<<同志達のほうへ>>と<<党の歌>>
Marsch/Lied «Bandiera Rossa» 行進曲/歌曲<<バンディエラ・ロッサ>>
Marsch/Lied «Dem Morgenrot entgegen» und «Vorwärts Freie Deutsche Jugend» 歌曲/行進曲<<曙に向かって>>と<<進め自由ドイツ青年団>>
Parademarsch Nr. 1 der Deutschen Volkspolizei 1 人民警察第一パレード行進曲1
Parademarsch № 1 der Nationalen Volksarmee 国家人民軍第一パレード行進曲
Parademarsch № 1 der Nationalen Volksarmee II 国家人民軍第一パレード行進曲2
Petersburger Marsch (Marsch aus Peterburg) ペテルブルグ行進曲(ペテルブルクからの行進)
Präsentiermarsch der Luftverteidigung 防空軍閲兵行進曲
Präsentiermarsch der Nationalen Volksarmee 国家人民軍閲兵行進曲
Präsentiermarsch des Wachregiment «Feliks Dzierzynski» <<フェリクス・ジェルジンスキー>>衛兵連隊閲兵行進曲
Salut 30 Marsch 行進曲<<30>>
Straßenmarsch der Nationalen Volksarmee 国家人民軍街路行進曲
Sylvianer Marsch シルビウス行進曲
Marsch/Lied «Brüder, zur Sonne, zur Freiheit» 行進曲<<兄弟よ、太陽へ自由へ>>
Marsch «Brüder, seht die Rote Fahne» 行進曲<<兄弟よ、赤旗を見よ>>
Marsch «In Reih und Glied» 行進曲<<隊列で>>
Marsch/Lied «Vorwärts, du junge Garde des Proletariats!» 歌曲/行進曲<<進め、汝ら若きプロレタリアの前衛よ>>
Präsentiermarsch der Nationalen Volksmarine 人民海軍パレード行進曲
Präsentiermarsch der Nationalen Volksarmee 2 人民海軍パレード行進曲2
Marsch «Dank Euch, Ihr Sowjetsoldaten» 行進曲<<感謝する、ソビエト兵たちよ>>
Marsch «Für den Frieden der Welt» 行進曲<<世界の自由のために>>
Paradefanfare パレードファンファーレ
Die Internationale (L'Internazionale) インターナショナル
Marsch «Gemeinsam unbesiegbar» 行進曲<<ともに不滅の>>
Marsch «Kampfesgrüße» 行進曲<<闘争の敬具>>
Marsch «Morgenrot der neuen Zeit» 行進曲<<新たなる時代の曙>>
Volkspolizei-Marsch Nr. 5 人民警察第五行進曲
Parademarsch «7. Oktober» 行進曲<<10>>
Marsch des 1. Juli 行進曲<<6>>
Parademarsch der Kampfgruppen der Arbeiterklasse 労働者階級戦闘団パレード行進曲
Marsch «Genossen der Volkspolizei» 行進曲<<人民警察の同志達>>
Sowjetischer Gardemarsch (Марш «Слава Гвардейцам») ソビエト親衛部隊行進曲
Marsch der Panzerfahrer 戦車兵の行進曲
Dynamo-Marsch デューナモ行進曲(公安組織のスポーツクラブ)
Straßenmarsch 街路行進曲
Marsch «Die Kompanie marschiert» 行進曲<<中隊は前進する>>
Manövermarsch 軍事演習行進曲
Marsch der Volkspolizei Nr. 2 人民警察第二行進曲
Marsch «Immer gefechtsbereit» 行進曲<<常に戦闘準備は万端だ>>
Marsch der Deutschen Volkspolizei ドイツ人民警察行進曲
Marsch «Unsere Volkspolizei» 行進曲<<我らが人民警察>>
Präsentiermarsch der Deutschen Volkspolizei ドイツ人民警察閲兵行進曲
Parademarsch Nr. 1 der Deutschen Volkspolizei 2 ドイツ人民警察パレード第一行進曲2

【翻訳】アメリカ陸軍戦車開発史 1925-1940年

ARMOR 1990年5月6月号、 125周年記念号
コンラッド・F・シュライアー=ジュニア(Konrad F. Schreier Jr.)著
http://www.benning.army.mil/armor/eARMOR/content/Historical/pdf/Schreier.pdf

現在のアメリカ陸軍の戦車は実にすばらしい。しかし、ごく少数のものしかこれらの戦車が1925年から1940年の開発にどれほど負うところがあるかを認識していない。1925年以前、設計者たちは、第一次世界大戦時から仕事を続けていたが、しかし、そののちすべての戦車開発計画は見直されてしまう。次の15年間にわたり、陸軍は、今日の戦車の一部である機能を開発した。

計画は、1992年のロックアイランド工廠によるT1中戦車から始まる。これは、22トンの車両で200馬力エンジンにより稼働し、時速22マイル―当時としては非常に高速―で走行することができた。砲塔には、中速57mm砲が搭載され、キューポラには30口径機関銃が据え付けられた。T1中戦車は、第維持世界大戦の設計を継ぐ最後の戦車であったが、大幅に改良された車両であった。使用されつつ、幾多の改修の後、1935年ごろに退役した。

次のモデルは、カニンガム社、自動車会社によって製作された。1927年のT1軽戦車は105馬力エンジンで稼働する7.5トンの車両であり、この105馬力エンジンにより時速20マイルで走行することができた。エンジンは前部に配置され、操縦席は後部に配置された。砲塔には30口径機関銃が搭載された。砲塔と一部の装甲は。リベット付けではなく溶接されていた。T1のシャーシ三つのバリエーションは自走砲、武器輸送車(砲兵牽引車?)、輸送実験車両のために制作された。

1928年にカニンガム社は四種の改良型T1し、T1E1とよばれた。それらの重量は8.9トンであり、そして時速22マイルの速度与える132馬力エンジンを搭載している。多くのT1E1のシャーシが自走砲とそのほかの実験車両のために制作された。1929年には、一両のT1E2がいくつか変更を行われたがT1E1と同馬力同速度であった。これらのT1は、非常に似通っており、1930年代を通して実験車両として十分に使用された。

1930年、カニンガム社は、重量15トンで320馬力エンジンの搭載し、最高時速25マイルのT2中戦車を制作した。これはT1軽戦車を基本的に拡大したものだった。サスペンションとトラックアセンブリ(軌道組み立て体)を含めたT2戦車の多くの部品がT1軽戦車のそれらと同じであった。T2中戦車は高速37mm実験砲を搭載していた。これらのすべての車両と同様にT2中戦車は、1930年代半ばに退役するまで多くの改修をうけた。

1930年の初め、三両のT1が完全にほぼ完全に新しい車両として改造された。T1は新たな動力伝達軸を持ち、砲塔にはT1中戦車と同じ37mm砲が搭載されていた。1932年にこのうち一両が英国ヴィッカース=アームストロングサスペンションの試験のためにT1E4として改造された。それ以外、すなわちT1E5は、その他の構成部品を試験するために使われた。そして最後に改造されたもの、つまりT1E6は、エンジンのテストに使用された。

これら今まで言及したすべての車両が成功したと考えられる一方で、陸軍は、いくつかのヨーロッパの戦車を試験することを望んだ。陸軍は、英国のヴィッカース=アームストロング社から”ヴィッカース6トン戦車”とカーデン・ロード豆戦車を借り入れた。これらは第一次大戦以来、陸軍が試験した始めての外国製戦車であり、そして、いくつかのよい特徴を持っていたものの、陸軍は、これら豆戦車を不適格とした。多くの点において、これら豆戦車は、陸軍のもつ試作車両ほどよくなかったのだ。1931年に陸軍は、かのJ・ウォルター=クリスティーの設計、製作した一群の戦車を購入した。クリスティーは当時66歳で第一次世界大戦前の前輪駆動レースカー、馬牽消防車を自動車するための前輪駆動への転換、そして彼の第一次世界大戦期の試作戦車と試作自走砲の設計で有名であった。

クリスティーは、いわゆる「コンパーチブルタンク」を開発し、そして、この戦車は、1928年には戦車自体の履帯または、転輪にて走行することができたが、しかし、この時代の何年先も行っていたと感じていたので、彼は、この記憶すべき革新を、「1940年式」と呼んだ。1940年式は、一切の武装そして砲塔を搭載していなかったため、完全な戦車とは呼べないが、しかし、履帯では時速45マイル、転輪では時速70マイルで走行することができた驚くべき車両だったのだ!これは、わずか8.6トンの重量と338馬力のリバティーエンジンによって動力が供給されていたため可能であった。Christie's Wheeled Track Layer 社は、一両の1940年式しか製造しなかったものの、試験において良い成績をおさめたので、陸軍は、完全な型を取得することを決定した。陸軍は、再設計された7両のクリスティー戦車を1931年に購入した。戦車を歩兵科に限定した連邦法に従い、三両が歩兵中戦車T3、そしてほかの四両はT1騎兵戦闘車に振り分けられたが、しかし、それらは実質的に同一であった。これらは、10トンの重量で338馬力リバティーエンジンを搭載している。T1とT3は、クリスティーのコンパーチブル主義を具現化しており、そして、転輪でも履帯でも走行することができた。T1とT3は、クリスティー独自のコイルスプリングサスペンションを使用していた。クリスティーは、砲システムを設計していなかったため、陸軍は、砲塔を製造しなければならなかった。クリスティー戦車は、物質的にしか十分でなかった。戦車の複雑な路上装輪走行システム即ち、ステリング履帯システムには問題があった。チェインドライブもそうであった。そのサスペンション構成をもって、それぞれのクリスティー戦車の独立転輪は、車両の両端のから端回りまでおよんでおり、これにより内部構造が複雑化し、そして、砲塔を装備することが難しかった。履帯の寿命、その他の同時代の戦車のように乏しく、たったの500マイル程度であった。そして、クリスティー戦車では、暴力的な機動において、履帯が外れがちであった。

ロックアイランド工廠は、多くのクリスティーの構想をT2 Combat Carで使用した。この8.5トンの車両は、新しい動力源を採用した。165馬力コンティネンタル星形空冷エンジンだ。この戦車は、T2E1として1933年に大規模に改造されたものだが、それは不成功に終わった車両であった。同種のT3 Combat Carは1932年に設計されたが、T2の失敗のため、量産されることはなかった。

1932年に、当時は目立たず進行していたものの、戦車の履帯能力にこれまで以上の革命を起こす履帯の開発があった。それは、ゴムブッシュ履帯であった。最初の戦車が製造されてから、「乾式ピン」履帯、キャタピー式トラクターのため開発されたもの、を使用してきた。泥がトラックピンブッシュに入り、そしてピンを摩耗させるため、乾式ピン履帯は、非常に短い寿命―500マイルに満たない―しかもたなかった。T1ゴムブッシュ履帯は、1932年に陸軍とTimken ベアリング社によって開発され、乾式ピンを置き換えるため、柔軟性のあるゴムブッシュが使用されていた。最初のゴムブッシュ履帯であっても、1000マイル以上を走行した。これらは、アメリカ陸軍の履帯設計において未だに基本的な要素となっている。

1932年に経験した第二の戦車におけるイノベーションは、ボリュートスプリング(竹の子バネ)サスペンションだ。これは、時計バネのように金属棒が緊張して輪状にされている。一方の末端は、輪の内側に、もう一方は外側にある。ボリュートスプリングの大きな利点は、非常に頑丈であり、そして存在する最も力強く小さなスプリングであることだ。であるから、ボリュートスプリングは、戦車のサスペンションシステムにおいて可能な限り最小の空間、リーフスプリング、コイルスプリング、トーションバースプリングが要求するものの一部、を占めるに過ぎなかった。

新しい構成部品が試験中であり、開発中であっても、陸軍は、クリスティーの設計もまた研究していた。1933年」、ロックアイランド工廠は、T1 Combat Car/T3中戦車を再設計した。陸軍は、クリスティーの構想は、利点を持つものの、完全からは程遠いと考えていた。陸軍は、クリスティーの構想の問題点のため、それらに関するいくつか他の開発ラインを遂行することを決定した。これは、クリスティー戦車で第二次世界大戦を経験する英国とロシアの両方の問題の視点からすれば非常に先見の明があったと後に判明した。

当時、後に軍需品部少将となるGladeon M.Barnesはトーションバーサスペンションの特許を取得した。トーションバーサスペンションは、車体側面の代わりに車体下部の空間を使用する。1934年陸軍は、クリスティー式を再設計し、そして、アメリカンラフランス社―火砲牽引車製造業者―に一両のT3E4中戦車の製造をさせた。大幅な改良があったが、T3E4は、同時期の試作車両ほどよくはなかった。まもなく、この計画が進行中の後、ロックアイランド工廠は、 T4中戦車―13トンでT4 Combat Car になるはずであったがcombat carに許される制限より重かった―を製造した。T4中戦車は、後にT4E1として改造され車体上部に特別な砲郭を試験的に使用したが、しかし、T4E1もT3E4クリスティー中戦車も非常に成功したとは考えられなかった。

1934年ロックアイランド工廠は、T2軽戦車―37mm砲搭載、後部エンジン、前部駆動―も生産した。重量は6.5トンであり、120馬力エンジンは、約時速25マイルでの走行を可能にした。ビッカース・アームストロング6トン戦車の試用のサスペンションを使用した。T2軽戦車は同時期に作られた他の設計に大きく水をあけた非常によい設計であった。

1934年にロックアイランド工廠にて製造された戦車は、第二次世界大戦において運用されたアメリカ陸軍の戦車の開発に対して多大なる影響を与えた。この二両のうち片方はT2E1軽戦車、もう一方は実際に同一のT5 Combat Carである。これらの車両は、後部配置、前輪駆動空冷星形航空機エンジン、ボリュートスプリングサスペンション、ゴムブッシュ長寿命履帯を初めて組み合わせた。これらの車両は、実に素晴らしい成功を収めたのだ!時速45マイルで走行することができ、これにより、クリスティーの設計した転換能力(装輪装甲能力)は不必要となった。これらの車両は実に素晴らしい機動力を持ったのだ。履帯寿命は1500マイルを超えると判明し、そして、暴力的な機動でも外れなかった。これらの車両の総合性能は、同時代の他のいかなる戦車でも耳にすることはなかった。

1936年、改良型双砲塔型であるT2E1軽戦車が制式化され、ロックアイランド工廠にてM2軽戦車として量産に移った。これに合わせて、単一砲塔モデルが制式化され、M1 Combat Carとして量産に入った。これらは、砲塔配置を除いて同一であり、第二次世界大戦中に非常に活躍した最初の軽戦車シリーズであった。M2軽戦車とM1 Combat Carが制式化されるまで、陸軍の倉庫に未だに制式化されて存在していた戦車は、第一次世界大戦式の戦車、フランスのルノー1917年式6トン戦車、英国のマークⅧであった。陸軍は、未だにそれらを使用しており、陸軍の一部の試作車両とともに戦車部隊を訓練、教育していたのだ!

また別の試作車両は、ロックアイランド工廠にて1934年につくられ、同じ新しい設計特徴を共有していた。T3軽戦車と呼ばれたこの車両は、無砲塔の3トン戦車でよく動作したものの、しかし、陸軍がなんの設計要求も持たなかったため、研究されることはなかった。

陸軍は、未だにクリテスティーのコンパーチブルドライブ構想には、利点があると考えており、そのため、1936年には、最後のモデルが設計された。T6 Combat Carである。しかしながら、他の新規設計の成功により、T6 Combat Carは、製造されることはなかった。しかしながら、最後のクリスティー戦車は製造された。1936年から1937年にかけて、ロックアイランド工廠は、M1 Combat Carの車体を取り外し、これをクリスティーコンパーチブルサスペンションに搭載した。これがT7 Combat Carであった。しかし、試験は、新規生産の形式の戦車に劣ることを証明した。1939年アメリカ陸軍は、生産に移っていたより良い戦車を選択し、クリスティー式の設計を破棄した。

陸軍は、―制式化された軽戦車とCombat Carを所有していたので―中戦車を必要とし、そして、1937年にロックアイランド工廠は、T5フェイズ1中戦車を設計し、製造した。その駆動軸は、M2軽戦車とM1 Combat Carに由来し、後部エンジン、前輪駆動、ボリュートスプリングサスペンション、ゴムブッシュ履帯を備えていた。加えて、37mm砲を砲塔に備え30口径機関銃の砲座を車体の四方に搭載していた。T5フェイズ1中戦車は350馬力星形空冷航空機用エンジンを搭載し、時速26マイル以上での走行が可能であった。そ5のサスペンションと履帯部品は新しい軽戦車とCombat Carのもとの同様のものであった。T5フェイズ1中戦車は成功を収めた。

後期の派生型の中戦車には、T5フェイズ2とT5フェイズ3―T5フェイズ3はより広い、改良型ボリュートスプリングサスペンションとゴムブッシュ履帯を装備している―が含まれる。1939年には、この設計は制式化され、M2中戦車として量産に移った。

1939年に、量産型M2中戦車は、発動機としてのGuiberson空冷星形ディーゼルエンジンを試験するためにしようされた。この型は、T5E1と呼ばれた。

1939年までにロックアイランド工廠は、M2中戦車を生産しており、そして、T2E2の改良を行っていた。T2E2は、低い車体とM2の動力伝達軸を使用していたが、その独特な車体上部に機関銃塔、75mm”パックホイザー”M116榴弾砲を右前面に、機関銃座を車体後部の角二ヶ所に装備していた。これは、大口径砲を車体に搭載する試験のための車両に過ぎなかった。大口径砲を車体に搭載する試みは十分に機能すると判明した。

1939年9月、第二次世界大戦がはじまると、二次大戦から、陸軍は戦車の必要性に対する全くもって新しい洞察を得た。もちろん、陸軍は、新型制式戦車の生産と改良に集中していた。1940年まで陸軍は、近い将来求められる戦車を設計、定義することに手中していた。結果として、陸軍は、前例のないことをやってのけた。新たな戦車は、試作車両を意味するTの文字を一度も振られることなく生産へと移されたのだ。これらの車両は、M3中戦車(“リー”または”グラント”)で、75mm砲を右車体前面に、37mm砲を砲塔に装備している。この戦車は1940年に設計され、そして第二次世界大戦の西側連合国戦車で初めて75mm砲を装備した戦車であった。イギリスが、北アフリカ戦線にM3中戦車を投入した際、アメリカ陸軍の戦車開発計画は、もはや時代遅れであることが判明した。

M3中戦車が量産を急がれているときでさえ、陸軍は、T6中戦車、M3中戦車の低い車体、動力伝達軸、サンスペンション、履帯を使用するが、75mm主砲を完全な砲塔に装備している。T6、が制式化され、1941年に大量生産が命じられた時、T6は、かの著名なM4中戦車”シャーマン”となり、このM4中戦車シャーマンは、未だ現役にある唯一の第二次世界大戦世代の戦車なのだ!

その他のあまり成功しなかった1940年にはじまった開発計画はT1超重戦車―現在の標準ですらある60トンの車体重量に、3インチ高速対空砲を砲塔に装備した戦車―である。T1は、1000馬力のエンジンを持ち、時速25マイルで走行した。

1941年にT1は、M6重戦車として制式化され、生産が始まったものの、この当時のもっとも力強い戦車は、海上輸送と欧州の道路と橋での使用における問題から、一度も先頭には投入されなかった。1941年。陸軍は、新たに、37mm砲を方途に装備したM3軽戦車の量産も開始した。M3軽戦車は、M2軽戦車の装甲と武装の向上型である。最後の非コンパーチブル・クリスティー戦車も、T49GMCとして製作されたが、成功しなかった。1940年に始まった設計を基礎としたT67GMCが1942年に製作された。これは、砲塔搭載砲と1933年に発明されたトーションバーサスペンションを使用したアメリカ陸軍最初の装甲車両である。1934年に導入され、非常に成功したので、未だに使われているアメリカ陸軍のボリュートサスペンションが一切の車体内容量を占めないにも関わらず、厚く車体内容量を占めるトーションバーサスペンションにより置き換えられたのは興味深い話だ。

トーションバーサスペンションを使用した最初の量産車両は、T67から発展し、1943年に導入された76.mmGMC(”ヘルキャット”)である。

トーションバーサスペンションは、また、後のM24軽戦車(“チャーフィー”)とM26重戦車(のちのM26中戦車”パーシング”)であった。M60に至るアメリカ陸軍の戦車は、M26パーシングから直接的に開発されたのだ。

1932年に導入されたゴムブッシュ履帯は、未だに使用されている。第二次世界大戦ではゴムブッシュ履帯は交換までに、5000マイルほど走った。そして今にいたるまで、ゴムブッシュ履帯よりよいものはないのだ。

Kampflied gegen den den Faschismus ―ファシズムに対する闘争歌

歌詞

1番
Wer zahlt das Geld für Hitler und seine Kompanie?
Das sind die Großprofitler der Kanonenindustrie.
Ihre Parole ist der Arbeitermord, sie singen vom blutigen Tag.
Setz dich zur Wehr, Du Arbeiterheer, hol aus zum Gegenschlag!
ヒトラーとその会社に誰が金を支払うか?
それは軍事産業の大利益者だ
やつらの合言葉は、労働者の殺戮だ、やつらは血にまみれた日を詠う
武器を取れ、親愛なる労働者の軍隊よ、逆襲のために進むのだ

=繰り返し=
|:Weg mit dem Schwindel der Eisernen Front, den Betrügern am Proletariat
Uns hilft nur die Rote Einheitsfront aus Arbeiter, Bauer und Soldat
Heraus aus dem alten Wahne, die Einheitsfont marschiert
Unter der roten Fahne, die Sichel und Hammer führt.:|
|:鉄の戦線の欺網、プロレタリアートに対する詐欺師よ去れ、労働者、農民、兵士の赤色統一戦線のみが古き幻想から我らを救うのだ
鎌と金槌が導く赤き旗の下、統一戦線は行進する:|

2番
Es schrein die Reformisten: Der Hitler darf nicht zur Macht!
Doch wer hat den Faschisten die Bahn erst frei gemacht?
Sievering verbot den Roten Frontkämpferbund, doch niemals die braune Armee
Drum Kampf angesagt, zum Teufel gejagt die Führer der SPD!
社会改良主義者は叫ぶ、ヒトラーを権力につかせてはならないと
だが、誰が、ファシストどもに自由なだけの道を作ったというのか?
ゼーフェリンクは赤色戦線戦士同盟を禁じた、だが、決して褐色の軍隊は禁じなかった
だから、戦闘は悪魔に取り付かれたSPDの総統に対して予告されるのだ!

=繰り返し=

3番
Und drohn des Hitlers Horden, der Kampfbund steht bereit.
Dann ist es Schluss mit dem Morden, dann kommt eine andere Zeit!
Wenn wir im Bund mit der Sowjetunion den Henkern das Handwerk gelegt,
Und die einige Kraft der Arbeiterschaft die weiße Front zerschlägt
そしてヒトラー一味を恐怖脅し、赤色戦線は準備状態にある
ならば、殺戮はおしまいだ、そして、次の時が来る!
ソ連との同盟にある我らが、死刑執行人に生業をしたとしたら
労働者の統一勢力は白き戦線を粉砕するだろう


Augen geradeaus ―頭中

歌詞
1番
Durch die Stadt marschierte uns're Kompanie
und zwei dunkle Augen lachten - schön, ja schön war sie.
街を抜け、僕らの中隊は行進する
そして、二つの暗い瞳は笑っていた ―美しい、確かに美しかった瞳は

繰り返し
|:Sie ist unser Talisman,
Augen links so gut man kann,
doch der Kommandeur voraus ruft:
"Augen gradeaus!":|
彼女は僕らのお守りだ、
できる限り瞳を左に
でも、部隊長は先頭で叫ぶ
"頭中"

2番
Unsere Gedanken war´n beim Marsch bei ihr.
Jeder dachte ihre Blicke, die gehören mir.
僕らの考えは、行進のときに彼女のそばでだった
みんな自分のものの彼女の視線だと思った

3番
Als wir Ausgang hatten, sah´n wir sie zu zweit.
Unser Kommandeur ging Hand in Hand an ihrer Seit´.
僕達が外出許可を貰ったとき、僕らは二人きりで彼女に会った
僕らの部隊長は、彼女のわきで並んで行った

音源


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ドイツ民主共和国で作曲された曲で、国家人民軍の曲となります。
歌詞について少々、繰り返し部分の「Sie ist unser Talisman」のSieをはじめとしてしばしば出てくるsie、ihrは、単に「彼女」と訳出しています。sieは、代名詞として、女性名詞または、複数名詞を受けます。しかし、例えば、2番「Jeder dachte ihre Blicke, die gehören mir.」の部分の直近に女性名詞は無いため、sie所有格のihrは、受けることが出来なくなります。そのため、この歌詞中では、受けることの出来ないsieを単に「彼女」として訳すことしか出来なくなります。
そのため、この曲は、語り手(叙述者)が直接的に明言されない女性について語った曲だと思われます。

世界地誌か何かの答案

管理人が大昔に書いた世界地誌か何かの解答です。一部内容が切れたりしていますがおそらく仕様です。テストレポート等ご自由にお使いください。なお、これで単位を落としただのなんだのの苦情は受け付けませんのであしからず。



サンベルトとフロストベルト、アメリカの地域構造
アメリカの工業は植民地時代から19世紀まで森林の存在するアパラチア山脈付近の北部地域に立地しており、製鉄や造船を中心としていた。19世紀から20世紀の初頭にかけて、自動車産業が五大湖を中心に立地した。この伝統的工業地帯が1970年代以降サンベルトと呼ばれる地域と比較して、影響力、政治力が衰退しているのでフロストベルトと呼ばれるようになった。また、この時期、保守的な共和党支持者、プロテスタントは北部に集まっており、政治の中心は北部であった。第二次世界大戦以降は航空産業が西海岸に立地した。1970年代になるとエレクトロニクス産業が、1980年代にはIT産業が、1990年代にはバイオテクノロジー産業がおこり、新たなる、労働組合の弱い地域として南部に立地した。また、南部は1970年代以降の中西部の農業大規模化し、ピッグス湾事件をはじめとする各種戦争によって防衛産業が発展したため、比較的保守的な軍事関連の人々と防衛産業に従事する労働者が集まり、それに加えて、北部の比較的保守派の引退者が南部の暖かい気候を求めて南部へ移住したため保守化した。アメリカの下院選挙は人口比率によって、各州に議席が割り振られるため、人口が増加した南部は、政治的にも力を持った。この共和党支持者が多い地域を指す言葉としてサンベルトが使われるようになった。また、政治的に力を持った南部の意向を無視してアメリカの国政を動かすことは不可能となった。また、この人口移動では、保守的なキリスト教徒が北部から南部へ移動している。こうして1970年代からアメリカの政治経済の中心は北部から南部へ移っていた。


地名が地域を考えるうえで持つ意味
地名が地域を考える上で持つ意味では大きく4あげられる。一つ目はその土地の歴史的由来が理解できるこちである。例えば、ブレスト・リトフスクであれば、「sk」の部分がロシア語で城を意味し、ブレスト・リトフスクにかつてより城砦があったと理解できる。二つ目はその土地の地形が地名からわかることである。例えば、フランクフルトであれば、「furt」の部分が渡しを意味し、フランクフルトが川に面しているということがわかる。三つ目は現地の住民のアイデンティティのありどころが理解できることだ。すなわち、地名の中にはその地域の美称や英雄の名前にちなんだ地名がつけられている場所があり、それの地名が住民のアイデンティティの一部を構成している場合がある。そのため、地名を考えれば、彼らのアイデンティティの一部が理解できる。四つ目は他者、他国からのその地域に対するスタンスが理解できるということである。これの身近な例として千島列島があげられる。千島列島はロシア語ではクリルと呼ばれており、日本語の千島列島と呼ばずクリルと呼ぶことでロシアの千島列島領有を肯定しているのである。



国家を地誌の記述単位として扱うことの意義と問題
国家の地誌の記述単位として扱う意義は、国家がある程度の完結性を備えており、扱いやすいからである。欧米列強を中心とする近代国家は、それぞれの国家で国家アイデンティティを保有しており、また、単一民族が多数派を占める場合も多い。そのため、国家を記述単位とすることにより、ある程度の塊として地誌を扱える。たとえば、アジアといった記述単位で地誌を扱うとなると、アイデンティティ、気候、民族、アイデンティティのあり方などまったく違う集団を扱うことになり、その地誌を記述することは容易ではない。国家を記述単位として扱う問題点は二つあげられる。1つ目はクルド人など複数の国家に分かれたり、数が少なかったりしながら、民族としてのアイデンティティを維持している少数民族が無視されることとなる点である。国家を記述単位として扱うということは、主要民族が全面的に押し出され、少数民族に関する記述は必然的に少なくなってしまう。もうひとつの問題点はナイジェリアのように数多くの民族を内包している国家では、国家的アイデンティティを見出せないため、民族に関する記述が困難になってしまうという点だ。

【翻訳】機甲部隊の投入に関する原則

Principles of the Employment of Armor
Robert J. Sunell
ARMOR May-June 1998 edition for ARMOR’s 125th anniversary

http://www.benning.army.mil/armor/eARMOR/content/Historical/Principles.html

機甲部隊の投入に関する原則

最近、我々は、Robert J. Sunell将軍(退役)から「1948年における機甲部隊の投入に関する原則」とこれがどれほど多く今日でも有効であるかということを指摘する短い覚書を受けとった。我々は、これにこたえなくてはならない。我々の読者のうち、年老いたものしか「1948年における機甲部隊の投入に関する原則」を目にしていないので、我々は、これらの原則から第28号、1948年ごろに戦車学校にて専門の入門として使うために出版された「機甲部隊の投入に関する原則」を再版する。―著者

・序論
ここ10年で戦闘の技術は、大いに変化した。空軍力は、我々の軍事概念を大いに変化させたが、しかし陸上戦力の必要性を消し去ったわけではない。むしろ、いくつかの機甲部隊とそれぞれの軍の助け、そして代わりに共通の任務を成し遂げられることによって助けられる全体としてバランスの取れた国防団をより密接にするような効果があった。

地上では、我々は、より開かれており、より流動的な戦闘、より速い機動、より多くの部隊の四散、より弾性のある防衛編成、そして、特定の点に大戦力を集中させ、以ってより一般に使われる機動作戦により突破するということを目撃してきた。機甲部隊によりこれらの億は達成された。我々は、機甲師団、機甲軍団、機甲軍の投入を目撃してきた。アメリカ陸軍の新式野戦軍は、実質的には機甲軍である。この新式野戦軍は、3500両の戦車とそれに加えて多くの自走砲を保有している。

戦争の機械化手段を生産する能力とこれらの手段を運用する能力は、アメリカ合衆国の並外れた利点である。我々は、潜在的敵により保有されるより多数の人的資源の優位を相殺するためにこの資産を開発し利用しなければならない。これはまた、戦場での人的損耗をするという努力の促進でもあるのだ。

機甲部隊は、機動性、装甲に守られた火力、そして決定的衝撃を持つ作戦という武器を持つ。機甲部隊は、地上部隊においては必要不可欠であり通常の構成員なのである。機甲部隊は、野戦軍指揮官の手の内に決定的な目標をもたらす。機甲部隊は、現代的戦場におい
軍司令官が究極的な目標―敵軍の戦闘意志の破壊―を達成できる手段を与える。
機甲部隊の利用を規定する確かな基本的原則はいくつか存在する―しかし指針にしか過ぎない。ブリッジにおける原則と同様に、機甲部隊の利用ついての原則には、「常に」や「決して」といった言葉はないのだ。機甲部隊の利用に関する原則の成功的適用は、心理における柔軟で、思考において進歩的で、想像において自由である指揮官たちと参謀たちに完全に依存しているのである。
・機甲部隊は、歴史的な騎兵の役割を演ぜよ
機甲部隊は、19世紀のナポレオン戦争において騎兵が達成した役割を現代戦争において達成する。機甲部隊は圧倒的火力を大規模な機動性と組み合わせている。19世紀後期から20世紀の騎兵は第一に機動力に依存していた。機甲部隊の火力は、その機動性の特徴に関する思慮において見落とされてはならない。
長年陸軍は、敵の時間的空間的要素を困惑させうる光のごとく高速移動する部隊を求めていた。それらは望ましい機動力を得るため攻撃力の一部を犠牲にすることをいとわない。騎兵は、そのような軍に発展させられた。自動火器とそのほか効果的火器、自動車車両の広範な使用により、馬は最早効果的な武器でも戦場における効率的な輸送手段でもなくなった。機甲部隊は、―高機動力と大火力の両方を組み合わせ―現代戦争において歴史的な騎兵の役割を引き受けているのである。

・機甲部隊は戦略的戦術的脅威であれ
機甲部隊は戦略的、戦術的武器だ。機甲部隊の存在は、局所的には、いかなる部隊に対する脅威であるのみならず、その長距離移動能力と迅速な戦闘参加能力は、離れたところの機甲部隊の存在を如何なる作戦への脅威にする。

・機甲部隊はその機動力を使用せよ
装甲は部隊、「機動的な装甲により防御された火力」として描写される。機甲部隊は、移動と射撃能力をもってその目標を達成するが、とりわけその移動能力をもって目標を達成するのである。何マイルも離れた師団以上の規模の機甲部隊は、同規模の徒歩で移動する歩兵の10%から20%少ない時間で戦場に到着する能力を持つ。行軍隊形から迅速に移送される能力は、移動速度に付け加えられなければならない。機甲部隊の機動力は、戦車のみに由来するのでなく、中隊から師団に至るまでのすべての組織段階における移動支援の広範な組織に由来しているのだ。

・機甲部隊は、敵に近接するためにその火力を使用せよ
機甲部隊は、その力を作戦の決定的点に集中する。師団以上の規模の機甲部隊は、装甲に防護された機関銃と砲による圧倒的優勢を持つ。戦車砲は、本質的には敵戦車に使用される武器である。戦車砲は大砲(砲兵)ではない。機甲部隊の火力と衝撃力の利用においては、砲兵とそのほかの支援武器は、戦車の車載機関銃と機械化歩兵が敵に接近し、これを撃破することを可能にする支援火力を提供するのである。

・大規模な機甲部隊は決定的な衝撃効果を生み出せ
大規模な機甲部隊による攻撃の終わりに部隊に訪れる心理的衝撃効果は、すさまじい。この効果は、貯水池の端の近くに投げ込まれた石から生じる波のように攻撃地点から半円の同心円状に広がる。もし攻撃が大規模であれば、それらの衝撃の波は、敵の師団、軍団、軍司令部にまで到達する。衝撃効果は、機甲部隊に防御の一部を与え、そして攻撃をうけた敵軍の崩壊を早める。機甲部隊の大規模利用の衝撃効果は、例えば投入される戦車の数が二乗か三乗かによっても左右される。決定的衝撃効果を生み出すのには少なすぎる規模の機甲部隊による攻撃は、しばしば大規模な損害と不確定な結果を生み出す。

・師団以上の規模の機甲部隊は、柔軟でなくてはならない
機甲作戦の間中起こることのすべてを可視化する能力は、多くの人々に与えられていない。予期せぬ偶然は発生する。地勢、天候、編成、障害、そして敵などの状況に関しては、未来のことまでは正確に予測されない。あらゆる状況に対する編成の設定は、機甲戦術においては、危険をはらんだ過度の単純化だ。機甲師団は、二つの柔軟に組織されたコンバットコマンドにおいて戦うために設計されている。それぞれのコンバットコマンドは、時に応じて、近くの任務を最も優位的にこなすために構成される。それぞれのコンバットコマンドは、すばやく変化する状況において作戦を扱うのに適切な参謀を持ち、そして、断片的な指令での任務形式の下で職務をこなすように訓練された将官により指揮される。

・機甲部隊は、啓開兵器たれ
機甲部隊は、比較的狭い戦線での敵障害を迅速に啓開しなければならない兵器である。機甲部隊は、縦深を維持し続ける限り力を維持する。障害が減少し、敵の強力な反撃が最早十分発生しそうもなくなるまで、機甲部隊は、散開してはならない。

・機甲部隊は、その優位性の維持のため、縦隊にとどまれ
これは、どうしても狭い戦線を移動するだとか、単一の道を移動するということを意味するのではない。機甲部隊は、広井先生を前進するだろうが、しかし、機甲師団とコンバットコマンドの戦術的陣形が縦隊である限り、指揮官は、如何なる偶然に対しても準備ができており、そして上位指揮官の反応と指令を待つことなく、迅速な行動が行われる。縦隊のコンバットコマンドによる敵防衛地帯の突破と撃破は、突破作戦において、同じくらい、または、より効果的でさえある戦力を与えると同時に、予期せぬ偶然に対処し、突破時に迅速に追撃を実施する予備のコンバットコマンドを温存するのである。師団以上の規模の機甲部隊は、作戦成功の予想において組織されるのだ。

・機甲部隊は、深く進撃し、集結し、破壊せよ
機甲部隊指揮官は、目標の本質を見極めなければならない。岩の表面を爆破しようと思う工兵が、深く穴をあけ、爆薬を設置し、爆破する。彼は爆薬を岩盤の表面に仕掛けていない。機甲作戦も同様だ。この手順のなかで、何が装甲部隊を守るのだろう?その答えは、機甲部隊に逆襲する能力を支配する、速度、機動力、柔軟性、敵指揮官と参謀の非活発性、そして、時間的空間的要因である。機甲部隊の衝撃効果は、指揮官と参謀にさえ達し、そして慣性をあたえ、逆襲するための時間を奪うのだ。

・機甲部隊は任務形式の命令を要する
機甲部隊は、任務そして必要最低限かつ調整した指令が与えられなければならない。機甲部隊は、直属上位の指揮系統の究極的かつ決定的な目標が与えられなければならない。なぜなら、より多くの実りを得るために、機甲部隊は突破の迅速な優位性を利用できるからだ。

・下位の編成単位においては、機甲部隊は、諸兵科連携を要する
師団以上の機甲部隊は、緊密な関係にある戦車、歩兵、工兵、砲兵の要素からなる。これは、おそらく、また、しばしば中隊レベルまでに下方拡大される。中隊レベルでは、戦車中隊は、砲兵の前線観測員と同様に歩兵と工兵を持ちうる。大隊レベルでのこのような状況は、通常のことである。戦車部隊指揮官が常に指揮を執っていると想定すべきではない。しばしば、機械化歩兵部隊は、戦車と工兵、砲兵の近接砲撃支援が組み合わされた基礎的戦力となる。

・いったん機甲攻撃の慣性が得られたら、その進路を突破することを許可するべきだ
機甲師団は、進撃をした時、巨大な慣性をもつ。統制線、限られた目標、そして進撃を継続するために高いレベルの判断を要するそのほかの要素により、機甲部隊を鈍らせることは、その慣性を霧散させる―しばしば敵がするより早く。機動に関する如何なる制約も敵に対して反応する時間を与えうるし、そして、しばしば主導権の喪失という結果に終わるだろう。

・成功した機甲作戦は、丁寧な作戦立案と、その暴力的実行によって特徴づけられる
機甲作戦は、多くの道路空間、密接な時間調整、手の込んだ補給計画、そして広範な整備に関する計画を必要とする。機甲作戦は、全兵科の念入りな調整と協力が必要とする。野戦砲、迫撃砲、航空支援は、結び付けられねばならない。通信は、調整され、完璧に確立されなければならない。これすべてを行うことは、徹底的で思慮深い計画を必要とする。

いったん計画が終了したら、実行はクライマックスだ。実行は、望まれた機動力、火力、衝撃効果が得られた場合、暴力的でなければならない。熱の入ってない(中途半端な)実行は、機甲作戦に期待される結果に致命的である。

・機甲作戦は、補給と整備を要する
適切な計画と補給と整備設備は、不可欠である。1マイル機甲師団を前進させるためには約1000ガロンの燃料を使用する。燃料切れの機甲部隊は、容易に撃破される。火力は、弾薬の大量使用を意味する。食料も必要である。典型的な機甲作戦においては、補給ルートは、敵の作戦によって数日遮断されうる。これらの偶然は予期されなければならず、そして、成功を保障するために提供された手段がなければならない。コンバットコマンドは、最終目標に到達し効率的に維持するために必要な補給物資を携行するべきである。

戦車とそのほかの装甲車両は、頻繁で複雑な整備を必要とする。手段は、機甲師団において利用可能である。すなわち、もし戦闘車両の好ましい均衡が敵に対する継続的作戦において、戦闘中に保たれているようなら、時間が与えられなければならない。予備コマンドを通した戦闘部隊のローテーションとコンバットコマンドとしての予備コマンドの頻繁でない投入は、整備に必要な時間を供給するだろう。

・機甲部隊の防御作戦は、弾性的であるべきである
機甲部隊は、非常に効果的な防御を実行できるし、実行してきた。機甲部隊は、これを弾性的であることによって、打撃とともに前進することによって、反撃によって、敵の攻勢形成を狂わせることを見越しての襲撃によって非常に効果的な防御を実行してきた。機甲部隊は、脆い防御線を作ったのではない。機甲部隊は、それ自体、相当な縦深を確保している。防御は、通常は、機甲部隊と関連した任務ではないけれども、将来の戦争における機甲部隊の能力は、見逃されてはならない。

・機甲部隊と戦術空軍は仲間である
機甲部隊と戦術空軍がともに緊密に働いたとき、膨大な力を持った一団を形成するというのは文字通り本当である。この協力関係は、偶然起こるものではない。それは、緊密な関係、念入りな空地訓練と、それぞれの相手の能力、制約、望まれる関係を得るための方法についての深い理解を必要とする。機甲部隊は、支援を必要とするものである。機甲部隊は、強力関係をもたらすために、もし必要であれば、中途半端な前進どころでなく更なる前進をしなければならない。

・結論
機甲部隊の運用に関する原則の適切な適応は、素晴らしい結果を生み出すだろう。これらは、規則として考えられるのでなく、状況の念入りな予測の後の指針として考えられるべきである。慎重な計画が求められている。暴力的な実行は、したがって、配当を支払う。心の、概念の、編成の柔軟さは機甲部隊指揮官とその幕僚に必要である。機甲部隊指揮官は、すすんで冷静に脅威を計算しなくてはならない。彼がカードを保持しているときは、すべてのチップをもってカードを下げなければならないし、そして彼が彼の手に勝利の手を保持しているか確信できないときは、しばしば彼はすべてのチップをすすんでつぎ込まなくてはならない。

2017年2月23日木曜日

The Yellow Rose of Texas ― テキサスの黄色いバラ

テキサスに黄色いバラがあるって、俺はそこに会いに行くのだ
ツレは誰もアイツを知らず、誰にも俺は知られちゃいない
俺が行くときあんまりにアイツがなくから、心が痛んだ
もしいつか次会えたなら、二度とはなれやしない

=繰り返し=
アイツはテキサスが知らないほどかわいい小さな乙女だ
アイツの瞳はダイヤモンドのようにきらめき、露のように光る
お前のクレメンタインやロザリーの歌のことをいうかもしれんが
テキサスの黄色いバラは俺にとっての唯一の女なんだ

リオ・グランデ川は流れ、星々が輝く
静かな夏の夜、アイツは川辺を歩いた
アイツは言った、もしあなたが思い出すなら、私達は遠い昔に分かたれた
俺は再び戻って、アイツを一人にしたままにしないって誓ったのだ

=繰り返し=

今や俺はあいつを探すために戻ってきた 俺の心は苦しみでいっぱいだ
俺たち一緒にこの歌を歌おう 遠い昔に歌ったみたいに
俺が陽気にバンジョーをひいて、昔なじみの歌を歌おう
テキサスの黄色いバラは永遠に俺のものだ

=繰り返し=

――動画内での歌詞――
"There's a yellow rose in Texas, I'm going there to see,
No other Feller knows her, Nobody known to me.
She cried so when I left her, It's like to broke my heart,
And if we ever meet again, We'd never walk apart.

|:She's the sweetest little rosebud, That Texas ever knew,
Her eyes are bright as diamonds, They sparkle like the dew;
You may talk about your Clementine, And sing of Rosalee,
But the Yellow Rose of Texas, Is the only gal for me.:|

When the Rio Grande is flowing, The stars are shining bright,
She walked along the river, On a quiet summer night:
She said if you'll remember, We parted long ago,
I promised to come back again, And not to leave her so.

|:She's the sweetest little rosebud... :|

Now I'm going back to find her, My heart is full of woe,
We'll sing the songs together, We sang so long ago
I'll play my bango gaily, And sing the songs of yore,
the Yellow Rose of Texas, will be mine forevermore.

|:She's the sweetest little rosebud... :|"




We Are the Infantry―我らは歩兵ぞ



Ooh, Soldier
Combat Soldier
Pick up your weapon and follow me
We are the Infantry.

おー兵士よ
戦う兵士よ
武器を取り我に続け
我らは歩兵ぞ


Eighty-Second
All Americans
Pick up your chute and follow me
Airborne Infantry.

エイティーセカンド(82)
オールアメルカン
パラシュートを持ち我に続け
空挺歩兵ぞ


One-oh-One
Screaming Eagles
Pick up your chute and follow me
Air Assault Infantry.

ワンオーワン(101)
スクリーミングイーグル
パラシュートを持ち我に続け
空中強襲歩兵ぞ


Big Red One
Patch on my shoulder
Pick up your weapon and follow me
Airborne Ranger Infantry.

ビッグレッドワン(1)
我の肩の記章ぞ
空挺レンジャー歩兵ぞ





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若干の説明
この曲はmilitary cadenceと呼ばれる種類のもので新兵訓練での行進の際などに歩調を合わせるためアカペラで歌われるものです。あとファミコンウォーズのCM曲もこのmilitary cadenceの一種(?)です。またこの曲と同じ形で様々なmilitary cadenceが歌われています。動画のWe are the marine corps infantryもその一種です。
この曲の内容としては、アメリカ陸軍有名歩兵師団のものです。2番から順に第82空挺師団第101空挺師団第1歩兵師団に対応しています。
ちょうどいい音源がなかったので、音源はWe are the marine corps infantryになっております。

Die Moorsldaten ―沼沢の兵士たち

1番
Wohin auch das Auge blicket.
Moor und Heide nur ringsum.
Vogelsang uns nicht erquicket.
Eichen stehen kahl und krumm.

どこに目を向けようとも
沼沢と荒野があるだけだ
我らを励ます鳥の声もなく
オークが禿げて折れている

=繰り返し=
||: Wir sind die Moorsoldaten
und ziehen mit den Spaten ins Moor.
Wir sind die Moorsoldaten
und ziehen mit den Spaten ins Moor.:||

||:我らは沼沢の兵士だ
スコップをもち沼沢へ赴く
我らは沼沢の兵士だ
スコップをもち沼沢へ赴く:||

2番
Hier in dieser öden Heide
ist das Lager aufgebaut,
wo wir fern von jeder Freude
hinter Stacheldraht verstaut.

この荒涼とした荒野の中に
収容所は建てられた
あらゆる喜びから遠く離れ
我らはこの場所に入れられている

=繰り返し=

3
Morgens ziehen die Kolonnen
in das Moor zur Arbeit hin.
Graben bei dem Brand der Sonne,
doch zur Heimat steht der Sinn.

毎朝長い列が伸びている
沼沢へ労働へと
太陽に焼かれて穴を掘る
しかし我が心は郷里に

=繰り返し=

4
Heimwärts, heimwärts jeder sehnet,
zu den Eltern, Weib und Kind.
Manche Brust ein Seufzer dehnet,
weil wir hier gefangen sind.

故郷へ故郷へ誰もが求め
親に妻に子どもを
ため息が幾人もの胸にひろがる
我らはここに捉えられているのだから

=繰り返し=

5
Auf und nieder geh'n die Posten,
keiner, keiner kann hindurch.
Flucht wird nur das Leben kosten,
vierfach ist umzäunt die Burg.

歩哨が上ろうとも下ろうとも
一人も一人も抜けられない
脱走は命を奪うだけで
四重の壁が城を囲む

=繰り返し=

6
Doch für uns gibt es kein Klagen,
ewig kann nicht Winter sein,
einmal werden froh wir sagen:
Heimat du bist wieder mein.

Dann zieh'n die Moorsoldaten
nicht mehr mit den Spaten ins Moor.
Dann zieh'n die Moorsoldaten
nicht mehr mit den Spaten ins Moor

しかし我らに嘆きはない
去らぬ冬はないのだ
いつか我らは歓喜に言う
郷里よ 再び我がもとに

それからは最早どの沼沢の兵士たちも
スコップをもち沼沢へと赴かない
それからは最早どの沼沢の兵士たちも
スコップをもちに沼沢へと赴かない


Rote Flieger (Roter Luftfloten March) ―赤色航空兵(赤色航空艦隊行進曲)

作曲:ユーリ=ハイト、ドイツ語作詞:フォン=ヘルムート=シュンケル

1.
Wir sind geboren, Taten zu vollbringen,
zu überwinden Raum und Weltenall,
auf Adlers Flügeln uns empor zu schwingen
beim Herzschlag sausen der Motoren Schall.
我らは生まれてきた、成し遂げるために
空と世界すべてを打ち負かすことを
鷲翼のさらに上へと飛び立つことを
エンジンの轟音は鼓動ともに鳴り響く

=繰り返し=
||:Drum höher und höher und höher,
              wir steigen trotz Haß und Hohn.
              Ein jeder Propeller singt surrend (das Lied):
              Wir schützen die Sowjetunion
:||||:だから、高く、高く、そしてより高く
怒りも侮辱も乗り越え
すべてのプロペラが唸る
我らはソビエト連邦を護るのだ:||

2.
Wir reißen hoch die Riesenapparate,
mit festem Griff die Hand das Steuer hält,
so kreiset, wachend über Sowjetstaate,
die erste rote Luftarmee der Welt.
我らは巨大な機械を高く引き上げる
しっかりと腕は操縦桿を握る
そう、旋回し、ソビエト諸国を見守る
世界初の赤色空軍は

=繰り返し=

3.
Ein jeder Atem, jeder unsrer Blicke,
erfüllt ist jede Faser mit Entscheid —
was man uns für ein Ultimatum schicke:
Wir sind zur Antwort jederzeit bereit.
すべての吐息、すべての視線
決意をもった総身を満たす
如何なる者が我らに最後通牒を突き付けようとも
我らは何時でも答える準備あり

=繰り返し=



スターリンの航空行進曲の名で広く知られる"Авиамарш"のドイツ語版です。
この曲は戦間期に作曲されており、そのころの音源も残っています。別名の赤色航空艦隊というタイトルがなんとも戦間期らしさといえるでしょう。
さて、この曲は原曲に沿った歌詞にしようと心掛けています。しかし、その中で非常に面白い点として3番の"Ein jeder Atem, jeder unsrer Blicke"は原曲の"Наш острый взгляд пронзает каждый атом"この部分では視線に当たる"Blicke"と"взгляд"のを含む節の順番がひっくり返っています。
更に面白いことにドイツ語の歌詞では原曲の歌詞の"атом"に対応する"Atom"ではなく、"Atem"を使っています。これは両方の音を似せるための処理です。というのもロシア語ではアクセントのないоはаと発音するという規則があるため、"атом"はカタカナで書くと「アータマ」になります。ではドイツ語はというとそのような規則はないので"Atom"、カタカナでは「アトーム」となり音がずれてしまいます。そこで、"Atem"、カタカナでは「アーテ(タ)ム」の語を当てているわけです。このようにドイツ語版の作者はいろいろやったわけです。

リンク先音源あり

東ドイツ軍(国家人民軍)製造年刻印読み方

東ドイツ軍においては製造年を示す刻印が二種類存在しております。一つは1968年まで採用されていたものでデジタル式とも呼ばれています。もう一方は1968年以降に採用されたものでレターコード式(文字コード式)と呼ばれています。以下ではそれについてそれぞれ書いていこうと思います。
 
・デジタル式


デジタル式は字を読んでのごとく2ケタのデジタル数字で製造年を示すものです。「/」の後の2ケタが西暦の下2ケタを示し、それが製造年となります。
例えば、「/61」という刻印があったとしたらそれは1961年に製造されたことになります。


・レターコード式

こちらは押してあるアルファベットの刻印で年代を判断します。表記はローマ数字とアルファベットまたはアルファベット単独で表されます。アルファベットについては下記の対応表を参照してください。ローマ数字については、Ⅰ~Ⅳまで存在し、Ⅰが1~3月、Ⅱが4~6月、Ⅲが7~9月、Ⅳが10月~12月を示しています。
例えば「Ⅳ/K」であれば、その装備品は1968年の10~12月に生産されたことになります。

K     1968
Z     1969
M     1970
X     1971
B     1972
L     1973 (1987も)
O     1974
S     1975
R     1976
A     1977
U     1978
F     1979
E     1980
G     1981
I     1982
C     1983
H     1984
T     1985
P     1986
L     1987 ( 1973も)
Y     1988
N     1989
D     1990

die Grenzerkampanie ―国境警備中隊

歌詞
1番
Wie überall am Ostseestrand
ist vorne Wasser, hinten Land.
Und mittendrin liegt sie,
uns're Grenzerkompanie!
バルト海沿岸のあらゆる水面の前線は背後の国土だ
そしてその真っ只中にあるは、我ら国境警備中隊!

繰り返し
Uns're Grenzerkompanie, ja, die macht das schon.
Uns're Grenzerkompanie aus dem Grenzerbataillon!
Denn die Grenzbrigade Küste
ist in bester Kondition.
Denn die Grenzbrigade Küste
ist in bester Kondition.
我ら国境警備中隊、確かに実行する
国境警備大隊麾下の国境警備中隊!
なぜなら沿岸国境警備旅団が最善の条件にあるから!
なぜなら沿岸国境警備旅団が最善の条件にあるから!

2番
Der Urlaubsgast und der Tourist ,
und der die Badenixen küsst,
Gilt manches auch für sie!
uns're Grenzerkompanie!
水着の美女にキスする休暇旅行客と旅行者の多くにも通用する
我ら国境警備中隊!

繰り返し

3番
Erst nachts wenn alle schlafen geh'n,
Matrosen vor der Brandung steh'n.
Mit Fernglas und MPi
uns're Grenzerkompanie!
誰もが眠りにつく夜のみならず、
磯波の前の水兵達は立ち上がる
双眼鏡とMPiとともに!
我らの国境警備中隊!

音源

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曲について
ドイツ民主共和国国境警備隊の曲になります。この曲は、バルト海と沿岸国境警備旅団という歌詞から、バルト海沿岸を警備する第6沿岸国境警備旅団について歌ったものだと分かります。なぜか日本語版wikipediaには異常に細かく第6沿岸国境旅団についての記載がござまいすので、第6沿岸国境旅団についてはそちらを参照するとよろしいかと思われます。